アッティリオ・マストロマウロは、イタリアのパスタ産業の先駆者の一人として知られています。大胆で先見の目がある実業家であった彼は、第一次および第二次世界大戦を経験し、自らの父が1919年にパスタ工場設立の夢を叶えるために渡航したアメリカで始まった、1929年の大恐慌も乗り越えてきました。イタリアの食卓に欠かせない存在であるパスタの生産に生涯を捧げますが、2015年6月16日、102歳で人生の幕を閉じます。
「毎日、初日のような心構えで仕事に励みながら、品質を追求することに生涯を捧げてきました」
発想豊かな事業家であったグラノロの創設者アッティリオ・マストロマウロは、業界の企業家の中でも、日光による自然乾燥から電子制御システムによる近代的な生産ラインまで、パスタの生産サイクルの発達を見届けた企業家として知られています。
現在でも社内で「ドン・アッティリオ」と呼ばれている彼は、二つの価値から経営のアイデアを得ていました。一つ目の価値は「家族」。当社の発展に不可欠な助けとなった最愛の妻キアラ夫人、そして今日、パスタ工場の指揮を執る二人の娘マリーナとダニエラです。もう一つの価値は絶え間ない研究を重ねることです。それは「改善を追求すること。毎日の業務において、昨日より良い結果を出せるよう常に取り組むこと」です。
アッティリオと妻キアラ夫人は、1970年代、神の愛の宣教者会のローマ支部で、マザー・テレサとの面会を果たし、それ以来一生涯に渡って、マザー・テレサを精神的な頼りとして崇拝するようになります。
アッティリオ・マストロマウロの物語とは、ピエトレルチーナのピオ(ピオ神父)や政治家アルド・モーロ、マザー・テレサなど、1900年代の偉大な著名人との面会で綴られる物語であると言えるでしょう。
1961年、「ピエトレルチーナの修道士」に、父レオナルドが同世紀初頭に設立した会社を後にし、自らの会社を創立したいと打ち明けます。すると、「実行しなさい。きっとうまくいくでしょう」という答えが返ってきたのです。
1967年1月21日、政治家で首相のアルド・モーロをお迎えして、初代工場の開所式が執り行われます。その際モーロ氏は、次のように話します「イタリア南部には、有能で懸命な、そして誠実で信頼できる生産力が備わっています。国として、皆さんのような存在を見逃すわけにはいきません。若者は、仕事という社会的責任を果たすために、これらの事業家を手本にして行動するべきだと思います」。
時は流れ、2014年5月、「生産プロセスだけでなく、製品のイノベーションへの持続的な研究」が称賛され、アッティリオ・マストロマウロはバーリ大学の金紋章を受賞します。この名誉ある賞は、バーリ大学の当時の学長アントニオ・フェリーチェ・ウリッキオ氏より授賞されます。 [Ritorno a capo del testo]グラノロの創設者の受賞以前に、バーリ大学からこの最高賞を受けたのは、名誉あるイタリア共和国大統領ジョルジョ・ナポリターノでした。
初期の生産量15000kgから今日の3500種類のパスタ生産にまでおよび、そしてプーリア州での成功からグラノロブランドの製品が販売される5大陸の市場拡大にまでおよび、アッティリオ・マストロマウロの功績は、パスタ作りには情熱が必要であるという考えを世界中に示した結果であると言えるでしょう。